「性的マイノリティの老後――暮らし、老い、死ぬ、生活者の視点で語りたい」があまりにひどいので、なにがどうひどいのか書いてみた。
性的マイノリティの老後――暮らし、老い、死ぬ、生活者の視点で語りたい / 永易至文 / 特定非営利活動法人パープル・ハンズ事務局長、行政書士 | SYNODOS -シノドス-
(はじめに)下記拙稿では多くの場面で「ゲイ」を「性的マイノリティ」全体の意味で用いています。このことが性的マイノリティ内部の差異を無化しているとのご批判は甘受しますが、適宜、ご自身の情況に合わせて読み替えていただければ幸いです
そもそもの意味が、性的マイノリティ=男性同性愛者じゃないでしょ。自明だし、「このことが性的マイノリティ内部の差異を無化している」と自覚しているのなら、なぜ厳密に書かない。こういう言葉の意味を軽視する姿勢が、私は超超超大嫌いです。
生きる意味の欠落と「ゲイの病い」
ロールモデルの不在は、たんに老後不安を招来するだけではない。同世代の異性愛者に目を転 じれば、彼らの多くが結婚・出産・子育てのなかで社会の再生産に寄与し、いわば「人生の春夏秋冬」を感じ、自分なりの「生きる意味」を噛み締めている。そ の一方で、ゲイは「自分は人生をなにで埋めるのか?」「自分にとっての春夏秋冬は?」という、実存的ともいえる問いを抱くこともある。
はあああああ??????????
結婚しないで独り身、これからどうしよう……というのは、非モテ独身の子供がいないノンケも同じじゃん。
ゲイコミュニティの一部には、こうした不安に堪えきれず、性急に人生を埋める答えを探すかのように、薬物、飲酒、恋愛、セックス、仕事などへ過剰に耽溺する仲間もある
そもそも違法薬物に手を出すなよ……
以前、もうかなり昔の話だけど、TLGPのボランティアスタッフで知り合いになったゲイの人がいて、彼曰く「二丁目の覚せい剤汚染はひどい」と。二丁目なんかにはあまり行かない私は「そういう怖い世界なのか……」と思ったことを思い出したり。
「何のために生きているのか」に答えうる生身で等身大の人生(老後)イメージの欠落と、そこから来る存在不安。これがゲイの老後問題の本質ではないかと私は考えている。
いや、ノンケだって自分自身の存在理由とか「人生の本質とは何だろうか」とか考えていると思うよ(鼻くそホジホジしながらそう考えた)。
それとも、ノンケはそんなこと考えずに、ノー天気に生きていると思ってるの?
フェミニズムとは自分の半径10mを機嫌良く暮らせるようにすること――上野千鶴子さんの著作で読んだ気もするが(定かではない)、ゲイの活動もまったく同じだろう
それこそ上野さんはおひとりさま老後本出してるじゃん。そこに書いてあることをどれだけ自分たちに適用できるか、とか考えたことあんの?
足かけ5年のLP研などの活動から見えてきたのは、「自分が死ぬまでお金はもつのか」「故郷に置いてきた老親どうする」「子のない自分の老後はどうなる」に多くの人が悩んでいることだった。私はこれをゲイの三大難問と呼んだ。それに応えるのがライフプランニングだ。
その難問、ノンケも全く同じだと思うんだけど…… オレの認識、間違ってる?
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ここに書いてあることの多くに「それ、ゲイ関係ないやろ」と突っ込みたくなる。
私が思うに、彼ら、自分たちを自分たちで特別扱いしているのだ。自分たちで「私たちはノンケ一般ピープ-とは違うんだもんね」と、なにか特別意識・(もっとどぎつい単語だと)選民意識があるんじゃなかろうか。
こういう人は、独り相撲やっているように見える。
先人たちの知恵を学ぼうとしない。
もっと平たく言うと、「車輪の再発明」を一生懸命やっているのだ。
過去のライブラリを引用しようともしてない。
「(同性パートナーがいない)LGBは、社会的なありようとしては、独り身の独身ノンケとほぼ同じだよな~。そういう人なら、今までもたくさんいたはず。彼らから中年~老後のライフプランを、マネープランを学べるんじゃなかろうか。そういうことに加えて、セクマイと言う自分自身の属性に関連することを追加してmergeしていけばいいんじゃないかな」と思わないのでしょうか。
人生のほとんどは、他のノンケと同じであって、違うところはほんのちょっと、というのが真実であり、現実のありようじゃないのでしょうか。
私はトランスとして、可能な限り他の一般の人と同じ点を見つける。どうしても違うところだけは違うと認めるざるを得ないけど、それ以外は他の一般の人と同じように人生を歩みたい。なんら他の女性と変わらずに。
それが私のアイデンティティなんです。